50代、やっと自分が見えてきた 〜CONNECTING THE DOTS を、いま生きている〜

mocoちゃんのこと

このブログのタイトルは「CONNECTING THE DOTS! 点と点をつなぐ〜人生にムダなことなんてない!」だ。

スティーブ・ジョブズが語った、あの有名な言葉から取った。点と点は、未来を見ながらつなぐことはできない。過去を振り返ったときにだけ、つながって見える——。

タイトルに掲げてはいたけれど、正直なところ、最近になってやっと、その意味を自分の体で感じられるようになってきた。

気づいたら、全部つながっていた

きっかけは、ふとした自己分析だった。

なぜ私は、話しながらでも書きながらでも、言葉がどんどん出てくるのだろう。考えてみると、思い当たることがいくつかあった。

ひとつは、「言いたい放題帳」。頭に浮かんだことをただ書き出すこの習慣で、いつの間にか言語化の筋肉がついていたのだと思う。もうひとつは、もともと内省派だということ。自分の内側を見つめながら文章を仕上げていくのが、性に合っている。そこに、考えを揉むための壁打ち相手が加わる。この三つが揃ったとき、一人で抱えているより早く「あ、これが言いたかったことだ」にたどり着ける。

そうやって自分の手の内を眺めているうちに、もっと大きなことに気づいた。

私がやっていることは、モノづくりと同じ構造なのだ、と。

本や記事から情報を受け取って、自分の中で揉んで、自分の言葉にして出す。素材を仕入れて、加工して、形にする。物理的なモノを作るのは得意じゃないけれど、言葉を編んで出すことは、比較的得意なのだと思う。

そしてそれは、私が仕事にしている思考整理と、きれいに重なっていた。自分がやっていることと、人に提供していることが、同じ一本の線の上にある。

「言いたい放題帳」になるまで

この「言いたい放題帳」、もとはモーニング・ページと呼んでいた。

毎朝、決まった時間に書く。そう手帳に決め打ちしていた。けれど、その時間に書けない日があると、それだけで苦しくなって、自分を責めてしまう。書くことで自分をラクにするはずが、いつの間にか「朝、書かなければいけない」という新しい縛りになっていた。

あるとき、ふと思った。これ、朝じゃなきゃいけないものでもないんじゃない?

だったらもう「モーニング」という名前をやめて、自分のタイミングで書けばいい。そう決めた。ついでに、絵を描いたり、シールを貼ったり、色をつけたりするようになったら、書くことが断然楽しくなった。

名前を変えただけ。でも、変わったのは名前じゃなかった。借り物の枠を外して、自分のやり方に編み直した。それだけで、義務が遊びに変わった。

受け取り方は、受け取る人にお任せ

書いたものをどう受け取るかは、読んでくださる方の自由だ。

これは突き放しているのではなく、「お任せする」という感覚に近い。自分自身が本や記事に出会ったとき、そこから受け取るのは結局「自分の解釈」だと、いつも感じるからだ。だから私も、誰かを変えたいわけじゃない。ただ、こんな景色が見えるようになったよ、と伝えるだけ。

書いている内容と、書き方への姿勢が、ちゃんと一致している。そのことに気づいたとき、なんだか少しほっとした。

50代は、自分の輪郭が見えてくる時期

30年のキャリアも、色彩検定も、整理収納も、モノづくりが得意じゃないことすらも。バラバラだった点が、今ここで線になってきている。

そして思う。50代とは、ようやく自分が見えてくる時期なのかもしれない、と。

20代30代は、目の前のことをこなすのに精一杯だった。40代でようやく少し顔を上げて、50代になって、やっと「ああ、これが私か」と輪郭が見えてくる。

でもこの「見えてくる」は、ただ歳を重ねれば自動的に訪れるものではない気がする。内省を重ねてきた人にだけ、少しずつ解像度が上がって見えてくるもの。言いたい放題帳も、壁打ちも、こうして文章を書くことも、ぜんぶ、その解像度を上げる作業だったのかもしれない。

だから、ムダなことなんてなかった

点を拾っているときには、それがどこにつながるかなんて、わからない。

何の役に立つのだろうと思いながらやっていたことも、気が進まないまま続けていたことも。今になって振り返ると、ちゃんとどこかの点になっていた。

このブログのタイトルに掲げた言葉を、私は今、まさに生きている。

そう言い切れるのは、今の私が、過去の私の点でできているからだ。

最後までお読みくださりありがとうございます。

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