できるとできないの境界線
以前ニュースを見ているときに
インタビューされていた外国人の応答ぶりを見て
驚いたことがあります。
その質問は…
「日本語話せますか?」
いかにも旅行者という風情ではあるものの
「え?日本語話せる?そりゃスゴイな!」
と内心思ったものです。
再度「どんな日本語を知っていますか?」と訊かれて
「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」
という確かに日本語だけど
正直これだけで日本語話せるとかいう?
って感じてしまったんですよね。
あぁそうか!「日本語を話せる」の基準が違うんだな
ということに気付きました。
「できる」と「できない」の境界線は
人によって全然違うんだな、と
今更ながらに気付かせてくれる出来事でした。
【謙遜】する
なぜこのような違いが出てくるのでしょうか?
自分が話せると考えているから「話せる」と
素直に言えるのではないでしょうか。
本当はできるのに「できない」と言ったり
人から褒められても
「いえいえまだまだです」なんて
言ってしまうのは
【謙遜】の気持ちからなんですよね。
【謙遜】して相手型を立てるという考えも
あるのかもしれませんが
話をややこしくするように思えるんです。
言い回しを変えてみませんか?
もし今あなたがこんな言い回しをしているのならば
- 「つまらないものですが」
- 「お粗末さまでした」
少し言い方を変えてみませんか?
例えば、「つまらないものですが」の一言
言葉通り取る必要はありませんが
もっとポジティブな言い回しで伝えてみるのは
いかがでしょうか?
「つまらないものですが」の言い換えとして
- 「先日どこそこへ行ったのでその際に購入しました」
- 「期間限定販売だったので買ってみました」
- (食べ物であれば)「お口に合うと嬉しいです」
- 「お気に召すと有難いです」
「お粗末さまでした」
- 「お口に合いましたでしょうか?」
- 「よろしゅうお上がりで」
わざわざ渡したい、食べて欲しいという
おもてなしの心が【謙遜】によって
損なわれてしまうのはそれこそもったいないことです!
最後までお読みくださりありがとうございます。
コメント